【国際結婚】アメリカのバレンタインは男性から?期待しすぎた私が学んだ「愛の形」。

アメリカ生活

こんにちは!アメリカで1歳の娘と7匹の猫と暮らすカリママです。

「アメリカ人の彼なら、きっと真っ赤なバラを抱えて現れるはず」

国際恋愛をしていた頃の私は、バレンタインデーが近づくにつれて、期待で胸を膨らませていました。

アメリカでは男性が女性に尽くす日だなんて、知識としては百も承知。

SNSを開けば、国際恋愛をしている女性たちが豪華な花束やプレゼントをアップし、「私、愛されてるでしょ?」と言わんばかりの幸せオーラを放っています。

それなのに、当日の夜。私の前に現れた彼は、いつも通りの手ぶら。

「ハッピー・バレンタイン」の言葉すらなく過ぎていく時間。

画面の中のキラキラした世界と、目の前のあまりに静かな現実。

その落差に、私の心はついにポッキリと折れてしまいました。

「アメリカ人なら、何かやるのが普通じゃないの?」

これは、国際結婚する前の私が、理想と現実の間で激しく揺れ動き、ちょっとした「事件」を起こした、あるバレンタインの記憶です。

1. 「アメリカ式バレンタインデー文化」を知っているからこそ膨らんでしまった期待

国際結婚をする前、まだ夫と「国際カップル」としてお付き合いをしていた頃。

私は、ある種の「完璧なシナリオ」を頭の中に描き、その日が来るのを指折り数えて待っていました。

その日は、2月14日。そうバレンタインデーです。

海外ドラマや映画、そしてネットの記事。

そこには決まって、「アメリカのバレンタインは男性から女性へ、愛の証として赤いバラを贈る日」と書かれています。

女性が勇気を振り絞ってチョコを渡す日本とは真逆の、ロマンティックな愛のある特別な日。

「国際恋愛をしているんだから、当然、私もあの主役になれるはず」

当時の私は、中途半端に知識があったからこそ、タチが悪かったのだと思います。

アメリカ人男性なら、バレンタイン当日にはレストランを予約し、小洒落たギフトを用意し、大きな花束を抱えて現れるのが「マナー」であり、それが「普通」だと信じ込んでいました。

予習はバッチリ。彼がいつバラを差し出してくれてもいいように、私は心の中で「わあ、ありがとう!」というリアクションの練習さえ済ませていました。

しかし、この彼への期待が、自分自身の首を絞めることになるとは、その時の私はまだ知る由もなかったのです。

2. SNSの「アメリカ式バレンタインデー」の投稿

ついに迎えたバレンタイン当日。私の心は朝から、期待と不安でそわそわと落ち着きませんでした。

ところが、時計の針が進んでも、彼からはロマンティックなメッセージどころか、至って普通の連絡しか来ません。

「もしかして、夜にサプライズがあるのかも?」と必死に自分に言い聞かせていました。

いつものようにSNSを開くと、タイムラインは、真っ赤なバラ、シャンパングラス、そして幸せそうに微笑むカップルたちの写真で溢れかえっていました。

国際恋愛をしている方が、これでもかとばかりに「アメリカ式の正解」を見せつけてくるのです。

それらに比べて、私の現実はどうでしょう。

目の前にいる彼は、仕事に追われ、いつもと変わらない格好で、バラの一輪すら持っていない。

何なら「今日、何か特別な日だっけ?」と言わんばかりの平穏な空気。

画面の中のキラキラした世界と、あまりに質素な自分の現実を交互に見ているうちに、私の心は急速に冷え切っていきました。

他の人はあんなに大切にされているのに、どうして私だけ?

一度そう思い始めると、もう止まりません。SNSに溢れる赤いバラたちは、私にとって祝福ではなく、自分の「愛されていない度」を突きつける鋭い刃のように感じられました。

画面をスクロールする指が震えるほど、私は得体の知れない惨めさに飲み込まれていったのです。

3. 日本人の「察して」はアメリカ人には通用しない

夜も更け、日付が変わろうとする頃。ようやく彼が仕事から帰ってきました。

当時の彼は夜勤が多く、その日も疲れ果てた様子でドアを開けました。

本来なら「お疲れ様」と労うべきところですが、一日中SNSの「完璧なバレンタイン」に晒され、期待と絶望のループに陥っていた私に、そんな余裕はありませんでした。

「お帰り」の一言も冷たく、どこかトゲのある私の態度に、彼は戸惑ったような顔をしていました。

私は、彼が夜勤で必死に働いていることも、疲れていることも、頭では分かっていたつもりです。

でも、どうしても抑えられなかった。「アメリカ人の彼なら、どんなに忙しくても、一輪のバラくらいは…」という、身勝手で強固な理想が、私の心を支配していたのです。

重苦しい空気の中、ついに私は不満を爆発させてしまいました。

「今日はバレンタインなのに、何もないの? 女友達はみんな、バラをもらったりお祝いしたりしているのに…」

今思えば、あまりに子供じみた言い分です。でも、当時の私にとってはそれが全てでした。

対する彼は、一瞬呆気に取られたような表情を見せました。アメリカ人だからといって、誰もが映画のようなサプライズを自動的に繰り出すわけではありません。

ましてや、過酷な夜勤明けの彼にとって、その時の私の言葉は、寝耳に水だったに違いありません。

結局、その夜は感謝も愛の言葉もないまま、最悪なムードで眠りにつきました。

4. 1日遅れでやってきた「アメリカ式バレンタインデー」

バレンタイン翌日の2月15日。私は朝から学校へ行き、授業を終えて帰路についたのは、夜の20時を過ぎた頃でした。

昨夜の気まずい空気の余韻もあり、重い足取りでドアを開け、ダイニングへと向かった私の目に、信じられない光景が飛び込んできました。

静かなダイニングテーブルの上に、昨夜まではなかったはずの花瓶に入った鮮やかな赤いバラとチョコレートが置かれていたのです。(実際の画像↓)

そして冷蔵庫には、アメリカのバレンタインの象徴とも言える、ツヤツヤと輝くチョコディップ・ストロベリーがありました。

一通の置き手紙が添えられていたので、読んでみると…

昨日は忙しくて準備できなくてごめんね

その短い言葉と、仕事の合間を縫って彼が用意してくれたであろうギフトを交互に見た瞬間、昨夜までのトゲトゲしていた心が、一気に脱力していくのを感じました。

「…当日じゃないんかい!」と、心の中でツッコミを入れつつ、呆れと、それを上回るほどの嬉しさがこみ上げてきました。

SNSで見たような、完璧なタイミングの「映画のワンシーン」ではなかったけれど、夜勤で疲れ切っているはずの彼が、私の不満を聞いて今日、わざわざ準備してくれたんだ。

その不器用な優しさが、昨夜の豪華なSNS投稿よりもずっと、価値のあるものに思えました。

20時過ぎの静かな部屋で、私はバラの香りを嗅ぎながら、1日遅れのイチゴを一口頬張りました。

その甘酸っぱい味は、期待しすぎて空回りしていた私の心を、優しく解きほぐしてくれるようでした。

まとめ

1日遅れで届いたバラとイチゴ。それは私にとって、単なるプレゼント以上の意味を持っていました。

もし私が、あの夜に不満を飲み込んだまま「どうせ私の気持ちなんてわかってくれない」と諦めていたら。きっと翌日のテーブルに、あの鮮やかな赤色が並ぶことはなかったでしょう。

国際恋愛や国際結婚において、異文化の知識を持っていることは武器になります。

でも、その知識に縛られて「こうあるべき」という理想を相手に押し付けてしまうと、目の前にいる大切な人の努力が見えなくなってしまうこともあります。

アメリカ人だからといって、誰もが完璧な紳士なわけではありません。彼らも仕事に追われ、疲れ、時には大切な記念日をうっかり忘れてしまうこともある。そんな一人の人間としての彼と、どう向き合っていくか。

この「バレンタイン事件」を通じて私が学んだのは、

自分の期待を言葉にして伝えること」と「相手なりの愛の形を受け取ること」の大切さです。

たとえ当日じゃなくても、たとえSNSのような華やかさがなくても。私のために動いてくれたその過程に目を向ければ、そこには確かな愛がありました。

今年のバレンタイン、もしあなたが「理想と違う」とモヤモヤしていたら、勇気を出して言葉にしてみてください。

そして、1日遅れでやってくるかもしれない「彼なりの正解」を、ぜひ楽しみに待ってみてくださいね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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